ごあいさつ
Greeting
いつも応援して下さっている皆様本当にありがとうございます。
2022年5月2日に【株式会社キャピタルレイズ】を設立する運びとなりました。
【社名の由来】
"キャピタル"は父の会社の『キャピタルウッズ』から頂きました。
『キャピタルウッズ』と言うのは元々、名字である"都木(たかぎ)"からきたものです。
『レイズ』は、自分の名前である"航佑"の航からで、ドイツ語で[航海]と言う意味がある"Reise"からとりました。
その他にも[出発]や[昇る]と言う意味もあり、世界の頂点を目指す自分にぴったりだと思い決定しました。
このキャピタルレイズでは、キックボクサー都木航佑(たかぎこうすけ)の所属、チームという形でやっていきます。
新たな出発として楽しく!自由に!世界の頂点まで航海し、昇っていく覚悟をもってやっていくという
自分の更なる成長の為に今回の決断をしました。
キックボクシングのいろはを教えて頂いたボスジムへの感謝の気持ちを忘れず今後も精進していきたいと思います。
最後になりますが、都木航佑(たかぎこうすけ)の再出発を是非応援よろしくお願い致します。
History
5歳【出会い】・・・新極真空手に入門、極真空手を始めた。
小学生・・・練習は楽しく、群馬県では1番になれたけれど、全国大会ではなかなか勝てず、1回戦、2回戦負けが続いた。
小学6年生・・・強くなりたい、勝ちたいと言う気持ちが強くなり、空手の先生のパーソナルトレーニングを受けて、力を付けられた。
中学生・・・部活は柔道部に入部。空手に柔道と休む暇もなく、練習に打ち込む。これまでの人生の中で、一番練習していた時期。
朝6時に起きて、柔道の朝練、授業が終わり柔道を6時まで練習して、夜7時半から10時半まで空手の稽古、夜中の12時から1時まで勉強・・・と、
睡眠時間は平均5時間。日曜日も練習や試合で休みなしで過ごした。
中学2年・・・新極真会空手全国大会で全国3位に。
中学3年・・・部活の柔道でも県大会出場、あと一歩で関東大会という所まで行く。
中学3年生【闘病】・・・高校受験も終わり、これから全国チャンピオン目指して更に頑張ろうとしていたある日、両手首に痛みが。
はじめは整形外科に行くも、いっこうに治る気配がなく、日に日に痛みが強くなり、練習も満足にできなくなり大きな病院へ。
そこで「もしかしたら手首の骨が壊死していく病気【難病のキーンベック病】の可能性があると言われ、
手首の専門の先生(病院)を紹介してもらうも、やはり【難病のキーンベック病】との診断をうける。
治療方法もなく、治る見込みもなく、ただ両手首にコルセットを付けられ、手をついてはいけない、手を使う運動もダメ。
空手は当然できず、これからチャンピオン目指して頑張ろうと言う時に、全て失うことに・・・。
両親が、日本中の大学病院や大きな病院全て調べてくれるも、この難病を治せる病院は見つからず。
ライバル達がどんどん強くなる中、何も出来ず、もう空手も諦めるしかないのか・・・と悔しさと辛さの続く時期を過ごした。
しかしその後も、両親が必死で色々調べてくれ、日本で一か所だけ、この難病を治せる所を見つけてきてくれた。
それは、東京銀座にある中国鍼灸院。鍼灸院は初めてで戸惑いもあったが「週2回通院すれば、3か月で治してあげる」と言われ、
両親も自分も、ここに全てを任せよう!と覚悟を決めて3か月間通院。
奇跡が起こる。3か月後、本当に、難病が治った。この時はうれしくてうれしくて両親と一緒に涙がとまらなかった。
高校1年生の冬・・・ついに復帰。ブランクで落ちた筋肉と体力を、厳しい練習で乗り越える。
高校2年生の夏【チャンピオン】・・・新極真空手全国大会に出場。まだ体力も完全に元には戻らない中ではあったが、
今までの辛かった思い、悔しさ全てを込めて戦い抜いた結果、遂に日本チャンピオンになることができた。
高校3年生の秋【試練】・・・その後も、色々な大会で優勝や入賞することが出来、遂に日本代表の切符をつかむ後1歩のところまで。
日本代表の切符を手に「今度こそ世界に行くぞ!」と、意気込んでいた全日本選手権の1か月前、練習中に足を怪我してしまった。
足は治る事はなく大会の日を迎える。全力で戦うも、最終延長戦の結果、敗退。
対戦した相手に日本代表の切符を渡してしまうことに。
大学1年生5月(平成29年)・・・そして、足のケガを抱えたまま、日本すべての極真空手統一チャンピオンを決める大会に出場。
チャンピオンを目指すも、ベスト8で終わってしまった。
大学1年生10月(平成29年)・・・足のケガが治らない悔しさや辛い気持ちと戦いながら練習に励む日々の中、更に強くなるためには・・・と
キックボクシングへのチャレンジが心に芽生える。
両親に話すと「やりたいなら応援するぞ!」と、早速キックボクシングのジム見学へ。
最初に見学に行ったジム「ボスジムジャパン」の先生のレベルの高さと、少し練習をさせてもらった際の相性で、
他のジムの見学には行かず、決断。東京・埼玉のジムに通う事に。
大学1年生11月(平成29年)・・・大学とキックボクシングの両立は難しく「大学はやめて、キックボクシングで世界に行く」と
決断した自分を、両親は認め、応援してくれることに。
両親は、いつも、いつでも、自分の心強い味方でいてくれる。
【プロへ・・・】RECORD-対戦成績
たくさんの人たちの応援、力をお借りし、それらを自らの力に変えて世界チャンピオン目指し頑張っていきます。
これからも応援宜しくお願い致します。